弱い犬ほどよく歌う。

音楽依存症の男子大学生が、横から目線で音楽と日常を書き流す。

「日村がゆく」に出た記憶に未練タラタラのまま、「ボクはゆく」。

日村がゆくが終わってしまった。

 

 

 

その知らせは突然だった。「日村がゆく 最終回」

どんなに伝説的な番組だって、いつか終わりは訪れる。 

「全員集合!」も、「みなおか」も、「めちゃイケ」も、もう、終わってしまった。

 

それらの番組とも同じように、「日村がゆく」も、いつかは必ず終わってしまう。

心のどこかでは分かっていた。

 

 でも、いざ実際に最終回の知らせを聞いた時には、どうにも信じられなかった。

「日村がゆく」はずっと続くのだろう、と、勝手に安心してしまっていた。

 

でも、終わってしまった。 

 

最終回は、リアルタイムで見ることができた。

 

 

最終回は、総集編の映像を見ながら、番組のこれまでをスタジオで振り返る形式。確かに、最終回っぽい。

 

さあ、一体、日村さんは最後にどんな言葉を残すのだろう。

 

期待半分、寂しさ半分で、番組を見ていた。そして、あっという間に番組はラストへ。

 

…ラストの日村さんは、相変わらずの全裸だった。なんてこった!!

 

「三年間!!ありがとうございましたァァァ!!」と、日村さんは、熱い言葉を残し(ただし、全裸)

聴き慣れたエンディングテーマに乗せて、最終回仕様のエンドロール(ただし、全裸の日村さんの画像の総集編)が流れる。

 

そして、番組は終わった。感動的な終わりである。(ただし、全裸)

 

 

江頭さんですらYoutubeで乳首を隠す時代に、「日村がゆく」は最後まで全裸である。

 

股間のモザイクは相変わらず無機質で、AVのそれと同じ質感。 

バラエティ番組でよくある、股間をタレントの顔の切り抜き等で隠す、

というような演出はこの番組には存在しない。

 

文字通りの日村さんの裸一貫で、番組は終わったのである。

 

令和のバラエティ番組として、最高にロックな終わり方だと思った。カッコイイと思った。制作スタッフの皆さんの、ブレないポリシーを感じた。

 

…あぁ、僕はこの番組が好きだった。

 

…そして、僕は、自分でも信じられないのだが、この番組に出ていた。

 

 

「日村がゆく」に底辺ミュージシャンの僕が4回も出演できた、ということ。

 

僕は、音楽活動をしている。インターネットや、地元のライブハウスで、細々と音楽活動を続けている。Youtubeの再生回数なんて三桁いったらいい方で、俗に言うところの「底辺ミュージシャン」である。

 

そんな僕が、「日村がゆく」に4回も出演した。とても信じられない話である。

でも、本当に、僕は4回も番組に出演したのである。

 

事の始まりは、日村がゆくの制作プロダクション、シオプロのADさんから頂いたTwitterのDMだった。

話を聞くところには、「高校生フォークソング選手権」という企画に参加しないか?というお誘いらしい。

 

高校生のシンガーソングライターを集めて、日村さんやミュージシャン(スカート澤部さん、ユアソンJxJxさん)の前で、トークを交えながら曲を披露する。その模様をバラエティ番組の企画として昇華させる。

 

「高校生フォークソング選手権」は、簡単にいうと、そのような企画だ。

 


かわいいガール - ヨシダケント 【日村がゆく】【未確認フェスティバル2016】

 

ADさんは、Youtubeに上がっていた「かわいいガール」という僕の曲を聴いてお誘いを下さったらしい。

でも、「かわいいガール」は当時100回再生程度の、「地下の地下で眠っているような曲」である。

 

 

しかし、そんな「かわいいガール」にYoutube上で出会って、お誘いを頂いたのである。

 

当時の僕は、うれしさ半分、「夢を持った人をターゲットにした新種の詐欺か?」という疑心暗鬼な気持ちが半分あった(笑)

 

10代の、底辺ミュージシャン宛に、いきなりテレビ制作を名乗る大人からメッセージが来るのだ。正直怖かった。

 

でも、マジだった。マジのお誘いだった。

 

ADさんが名乗る「シオプロ」という名前で検索し、それは、バラエティ番組制作会社の中でもずば抜けた実績を誇るプロダクションだと知る。

 

「ゴッドタン」「水ダウ」などなど、バラエティ番組好きであれば知らない人は居ないような、数々の名番組の制作に携わっているプロダクションが、シオプロだったのである。

シオプロのスタッフさんのリサーチ力はピカイチで、「どこから連れてきたの?」というような素人さんを掘り起こす力もあり―という記事も目にした。

 

つまりのところ、僕もシオプロさんの強すぎるリサーチ力で見つけて頂いた、素人の一人なのである。

 

 

日村さんやスカート澤部さん、ユアソンJxJxさんの前で歌えて、しかもその模様がAbemaTVで全国に配信される。

 

こんなありがたいお誘い、断る理由があるだろうか?まったくもって、無かった。 

 

 

ほんで、日村がゆくに、出た。

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何もかもが、初めての経験だった。底辺ミュージシャンの僕が、ここまで、「プロ」のような、素敵な経験をできるとは、夢にも思わなかった。

 

楽屋にある「ケータリング」の弁当まで、すべてが宝物に見えた。

 

都内某所での初めての「インタビュー撮り」、AbemaTVのスタジオでの初めての「スタジオ収録」を終え、初めて「自分が出た番組のオンエア」を迎えた。

 

ここでの思い出に関しては書いたらキリがないので、今回は省略する。

 

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収録を終えて、

 

「いや~、番組きっかけでめちゃくちゃ褒められて、このままメジャーデビューとかしちゃったらどうしよう~♪」

 

などと調子に乗っていた。もちろん冗談半ばではあるが。

 

「そんな甘くないぞ」と突っ込む人の気持ちは、痛いほど分かる。

 

そりゃそうだ。音楽は甘くない。僕が必死に撮影した「かわいいガール」の動画だって、100万回再生の動画が溢れるYoutubeの中で、当時100回しか再生されていなかったのだから。

 

そんなの分かっている。僕だってわかっている。僕が一番わかっている。

 

でも、だけど、明らかに、僕は浮ついてしまった。

「ワンチャン」あるのでは?と思ってしまっていた。

 

テレビに出るって、当時10代のガキだった僕にとっては、とてつもなく夢のある出来事なのである。

みなさんも、自分に当てはめて考えてみて欲しい。

 

 

 

 

ただ、結論から言う。「ワンチャン」は掴めなかった。

 

AbemaTVの特徴として、リアルタイムで視聴者のコメントが流れる、というのがある。

 

コメントで、ボロクソに言われた。

悪意のある理不尽なディスではなく、純粋に「イマイチ」というコメントがどんどん流れていった。もともとは顔を隠すためにしていたサングラスも「キモい」とディスられ、唄声には「魅力が無い」とディスられ、曲は「凡庸」だとディスられた。

 

正直、何も異論はない。批判が正しい。理不尽な批判では、ない。

僕は未熟だった。凡人だった。心のどこかでは自覚していたはずのそれを、番組に出演したことがきっかけでさらに痛いほど感じることになった。

 

 

その一方で、僕が描いたようなワンチャンを掴んだ共演者が居た。

 


【ゲス極川谷・くるり岸田が絶賛!】中学3年生で「オリジナル300曲」の怪物”崎山蒼志”が登場!さらに“中1で作った楽曲”にスタジオ騒然…!|〜第3回高校生フォークソングGP〜|日村がゆく!#51

 

 

 

音楽好きであれば、今、知らない人は居ないのではないか、といっても過言ではない彼、

「崎山蒼志」君である。

 

僕と崎山くんは同じ回に出演していたのだ。

 

崎山くんは、僕の3個下。弟と同じ学年でありながら、番組内で卓越したパフォーマンスを見せた。そして、AbemaTVのYoutubeチャンネルに投稿された上記のパフォーマンスの動画が、めちゃめちゃバズッた。

 

崎山君は、声変わりもしていない幼少期から、本格的に音楽活動をしていた。

その当時から名曲を生んでいるから驚きだ。

幼少期からの「下積み」から地続きの、確かな経験、確かな努力、に裏付けされた、誰からも異論のない、「純粋なバズり」だ。

 

ワンチャンを掴む人は、掴むべくして掴む、ということを実感した。

 

「いや~、番組きっかけでめちゃくちゃ褒められてこのままメジャーデビューとかしちゃったらどうしよう~♪」

 

という僕の夢物語を、本当に崎山君は実現させた。

 

今、彼は、ソニーからCDを出し、全国に抱えるファンにライブツアーをする立場になった。

 

想像してほしい。ただの高校生である僕が、テレビに出演し、ボロクソに言われるその一方で、スターの卵が、その殻を破り、翼を広げ、憧れの舞台へ羽ばたいていく、その光景を。

 

僕の立場からすれば、人生でなかなか経験できない挫折だと思う。

そういう意味で、今思えば、かなり貴重な経験だった。

 

その気持ちに関しては、少しバズったこのブログに詳しく書いてあるので、よろしければ。

 

humming-dog.hatenablog.com

 

 

 

 

 

誰よりも泥臭いやり方で、4回の出演を掴んだ僕。

 

 

でも、ボロクソに言われていたはずの僕が、初回の出演から、「高校生シンガー事件簿」という番外編、「高校生フォークソング選手権グランプリファイナル」というメモリアルな回、「高校生フォークソング選手権 夏フェス」という番組初の公開収録に参加している。

 

合計で4回の出演をしたのである。

ちなみに僕はグランプリでも何でもない。

だけど、「グランプリファイナル」に出演したのだ。なんてこった。

 

 

なぜ、僕が4回も「日村がゆく」に出られたのか、それは、

泥臭い僕のやり方である。(自分で言うのもアレだが)

 

そして、僕の「泥臭くて情けない生きザマ」にバラエティ番組的な面白さを見出してくれた、日村がゆくのスタッフさんのおかげである。

 

それに関して、これから詳しく書いていく。

 

 

 

「高校生フォークソングGP」で、下ネタを解禁した僕

 

最初に「日村がゆく」に出演したとき、僕のキャラクターは異質な物だった。

 

インタビューが始まってすぐ、カメラを回していたディレクターさんに「おっぱい見たことない?」と聞かれ、躊躇することなく「ないです、(中略)意外と固いって聞きました」と答える僕。

 

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(普段から僕はこういうキャラクターなので、別にキャラづくりのために下ネタをぶっぱなした訳ではない。)

 

「日村がゆく」という下ネタ全開の番組の中では、まったく違和感のない会話ではあるが、高校生がメインの出演者である「高校生フォークソングGP」の企画内で下ネタをここまで解禁したのは、おそらく僕が最初ではないだろうか。

 

インタビューをディレクターさんとしていく中で、

 

ディレクターさんが「こいつは下ネタの生きる奴だな」と判断し、「高校生フォークソング」の文脈ではなく、「日村がゆく」の文脈でのインタビューに切り替えてくれたのだと勝手に思っているのだが、どうだろうか。

 

僕は、こう見えて真面目だから、インタビューシーンの撮影の前に、観られるだけ「日村がゆく」を観て予習していた。

 

「日村がゆく」そのものの、下ネタへのスタンスを理解した上で、「高校生フォークソングGP」ではその下ネタがほとんど封印されている、異質な企画だというのも理解していたから、

 

まさかの僕に対して、ディレクターさんからバリバリに下ネタを解禁されたのが嬉しかった。冗談ではなく、番組の一部になれた気がした。

 

そして、僕もバリバリに下ネタを解禁してしまったのである。はははー。

 

 

おそらく、この僕のキャラクターを原因として、一部の人にはヘイトを与えてしまっただろう。でも、一部の人には「なんかおもろい奴だな」と思って貰えた筈だ。

 

 

サングラスを掛けて、インタビューではおっぱいの硬さを語り、歌では「かわいいガール♪」などと歌う。トークでは、「ギターもあれもアレもソロ活動」とか言ってしまう。そして「童貞」ということまでカミングアウト。

 

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我ながら、よくやったなと思う。ただの素人男子高校生が、自分を全てさらけ出したのである。

 

このオンエアは親も見ていた。親にはシモの話をしない、健全な家庭だったから、このオンエアで、息子の晴れ舞台を期待していた両親の落胆は、知りたくない。

 

だがしかし、後悔は全くしていない。

 

 

番組のアンケートを全力で、泥臭く答えた

 

 一回目の出演が終わり、しばらくして、担当のADさんからLINEが来た。

 

「放送を終えて、後日談のような感じで、エピソードを教えていただけませんか」

 

 とのこと。アンケートのフォーマットが添付されていた。

 

バラエティ番組の多くでは「アンケート」を実施する。番組を作る上で、その解答の中から、番組で使えそうなネタを吟味するのである。

 

話を聞くところには、「高校生フォークソングGP」への出演者への後日談アンケートの内容をもとに、ランキング形式で「強いエピソード」をスタジオで日村さんに報告する、という企画らしい。

 

僕は、何が何でも「次に繋がるようなアンケート」を書きたいと思った。

 

誰よりもオンエアで「バズれなかったこと」に悔しさがあったからだ。

そして、その一方で、ありのままの「童貞下ネタキャラ」が一定のバラエティ好きの層にウケた手ごたえもあったからだ。

 

人によっては、このアンケートは、気軽にささーっと書いたり、質問に対して「(エピソードは)ないです」と答えた人も多かっただろうなー、と思う。

 

でも、僕は、全部の答えを絞り出した。

泥臭く、泥臭く、かなりの長文で、アンケートを、エピソードを絞り出した。

 

自分の情けないエピソードを、惜しみなく絞り出した。

 

色々な人に嫌われる覚悟で、崎山君へのコンプレックスもむき出しにした。

「モテない」という僕の1番のコンプレックスも、全部おいしくなると思って、全部さらけ出した。

 

アンケートを送って、まず最初に貰ったADさんからの返信は、

 

「すごい熱量での返信、ありがとうございます!」

だった。

 

あぁ、多分僕は他の人より圧倒的に重い文章量だったのだなと、そこで初めて感じた。

 

 

そのアンケートが生んだ結果は、意外なものだった。

 

「ディレクター(さん)がヨシダさんに、ぜひ番組でその事を話して欲しいと言ってるみたいなんです!スケジュールどうでしょうか?」

 

この連絡が来たときは、本当に嬉しかった。

 

もともとはスタジオにゲストを呼ぶ予定すらなかった様子なのに、まさか、僕がスタジオに呼ばれたのである。

 

前回の出演での僕のキャラクター、そして、今回僕が全力で書いたエピソードが、「おっぱい」の質問をして下さったディレクターさんに、興味を持ってもらえたらしい。

 

このアンケートが、僕の人生を大きく変えた。といっても過言ではない。

本当に、泥臭くアンケートに回答してよかった。

 

 

このアンケートをきっかけに、僕は河井杏寿ちゃん、大久保基学君とともに、「高校生シンガー事件簿」に出演し、

 

それをきっかけに、「なんか面白い奴枠」として、グランプリ受賞者のあつまる「高校生フォークソングGP グランプリファイナル」、番組の歴史の中でも、かなりの大きなイベントである「高校生フォークソング 夏フェス」になぜか出演したのである。

 

僕の出演の経緯に関しては、本当に泥臭かったな、と思う。

でも、後悔はしていない。いや、最高である。

 

 

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「また日村がゆくに出ること」を目標に今まで頑張ってきた

 

4回も「日村がゆく」に出ることは、かなりの貴重な経験だった。

日村さんはもちろん、企画レギュラーのスカート澤部さん、ユアソンJxJxさんとは4回も撮影をご一緒することが出来たし、菅田将暉さん、小澤亜李さん、佐倉綾音さんとも共演できた。

 

 

出演者の方々と、スタッフさんは、僕のような素人を、本当においしく料理してくださったな、と思う。

お陰様で、最初は僕に対する否定的なコメントも多かったが、段々と「ヨシダ、なんだ、良い奴じゃんww」とか、「ヨシダ、上手くなったな!」など、前向きなコメントも、頂けることが増えた。

 

「日村がゆく 夏フェス」のときは、初めて「日村がゆく」のファンの前でライブをした。いつものライブハウスのライブには全然お客さんを呼べない僕を、満員のお客さんは温かく受け入れてくださり、僕の人生最高のライブの一つになった。

 

これは紛いもなく、「日村がゆく」に関わる全ての人のおかげなのである。

 

 

僕は、日村がゆくの撮影の現場が、大好きだった。

 

本当にアットホームな撮影現場で、スタッフさんと日村さんとの信頼関係が僕から見ていても、ハッキリと感じたし、そして、僕らにも、アットホームに接して下さった。

 

時間の都合上、全カットでお蔵入りになってしまったらしいのだが、「夏フェス」の撮影のあと、「打ち上げ」と題して、番組の有名ディレクターさん、イモDさんの手料理を振舞ってもらう企画があった。

食べ物をつまみながら、撮影のアフタートークをするような企画である。

 

イモDさんの料理は、「プロの料理人さんなのか?」と思うぐらいに本当に美味しくて。

 

そして、お世話になったスタッフさん、日村さん、澤部さん、JxJxさんと、企画の上とはいえ、同じ卓の上で打ち上げをする、という、後にも先にもない経験をした。

これが忘れられない。

 

みんな心から「素敵な大人」で、短い時間ではあったけど、他愛もない会話をしてくださった。

 

この日、僕は、生意気にも、この幸せな光景が「日常」になればいいのに。と思ってしまった。

 

テレビ番組という、「面白い」コンテンツをみんなで創り上げて、それが色んな人に見られて。僕自身が幸せを感じられて、そして、番組を見てくれる人にも、幸せを与えられる空間――僕は、その魅力にドップリと浸かってしまった。

 

 

もちろん、僕は「素人」として、バラエティ番組の一企画に片足を突っ込ませて頂いただけの立場である。

 

バラエティ番組の本質は、そんなに甘くないというのは、僕なりに理解している。

 

横で撮影の準備などを拝見している限りでも、バラエティ番組をつくる過酷さ、シビアさを目の当たりにした。

 

 

でも、僕は、「またテレビに出たい!」と思ってしまった。

 

そして、「日村がゆく」は、僕にとって、一番に出たい番組であり続けた。

 

 

 

 

冗談ではなく、ミュージックステーションよりも、「日村がゆく」に出たかった。

 

 

 

最初の出演の時よりも成長して、「ヨシダケント」という名前が単体で有名になって、「ヨシダケント」として「日村がゆく」に呼ばれることが夢だった。

 

 

 

そして、その夢に向けて、僕は色々なトライアンドエラーを重ねることになる。

 

 

Youtubeに色んなジャンルの動画を投稿してみたが、なかなか思うようなクオリティの動画が作れない。

 

そして、なかなか動画の再生回数は伸びない。

 

正直、自分でも、動画の出来には納得いかない。面白い動画を作るのは、ここまで難しい事なのか。と痛感した。

 

 


最先端、Amazonでヒゲを生やす方法があるらしい…??『Amazonでヒゲを生やそう』【合計出費4900円】

 


ファミマの入店音で星野源してみた【演奏してみた】

 

 

売れるために本気で取り組んでいたバンドは、結成して半年で、メンバーの学業を理由に活動休止。次の春が来て、やっと活動を再開したものの、その夏にメンバーが脱退して、活動できなくなった。おそらく、このバンドは、もう活動することはない。悲しいけれど。

 

 


青の旅立ち / サケノツマミ (エモいMCあり)【Live】2019.5.26 Live House 湘南bit

 

humming-dog.hatenablog.com

 

 

 

 普通のバンドができないならば、と、メンバーを固定しないTwilight Music Clubという巨大なバンドも組んだ。

 

humming-dog.hatenablog.com

 


Twilight Music Clubのライブが一挙見できる動画

 

このTwilight Music Clubに関しては、活動を本格化してまだ間もないから、大きな壁にはまだぶち当たっていないが、

 

活動が波に乗ってきたこのタイミングで、コロナウイルスが蔓延し、春休みの内に進めたかったプロジェクトが、全部延期になった。

 

 

更に言うと、童貞モテないキャラで沢山「日村がゆく」でイジって貰った僕だが、ヨシダは、まだ「アレ」である。(爆)

これに関しては、色々あった。けど、全部うまくいかなかった。

 

 

 

そんなこんなで、僕がウズウズしているうちに、「日村がゆく」は終わってしまった。

 

 

 

…なかなか、「好きなことで幸せになる」ことは、甘くない。

 

 

それでも、「吉田はゆく」

 

正直、僕は今でも迷走を続けている。

どうしたらいいのか、ハッキリしたことが、分からない。

 

何を仕事に生きていくのか。大学三年生になる今、そろそろ本気で考えていかなければいけなくなった。

 

 

躁鬱の症状もあって、ほんの少しだけ病院に通ったこともある。

頑張れるときと、頑張れないときのギャップが、本当に苦しい。

 

躁の時に立ち上げたプロジェクトが、ここぞ、というときに鬱に襲われ、何も手につかない、ということがある。

 

躁の時には、辛辣なコメントや、今までの悔しい思い出も、全部をバネにファイティングポーズできるのだが、鬱の時には、それらすべてが重くのしかかり、深い挫折を覚える。

 

本当に、情けない僕だ。

 

 

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でも、僕は、歩みを続けたい。

 

「吉田はゆく」のだと、鼻で笑われても、言い続けたい。

 

 

憧れの「日村がゆく」は終わってしまった。

 

一つの夢はかなわずに終わってしまったが、

 

 

僕はまだなんとか生きているし、活動も続けている。

そして、シオプロさんも、AbemaTVも、バラエティの最前線で面白いコンテンツを作り続けている。

 

 

いつか、また、テレビ番組に出る。その夢は捨てないでいたい。

 

泥臭いやり方でも。何が何でも。僕は、また、テレビに出る。

 

※もちろん、犯罪でニュース番組に出る、というのは論外です(笑)

 

 

 

夢は、仮に、叶わなくとも、途中で諦めたとしても、見る価値はあると思う。

 

そして、その夢を外にこうして吐き出すのも、僕の自由だ。

 

 

僕は、「日村がゆく」に、冗談ではなく、本当に、夢を見させて頂いた。

 

これからは、誰かに照らされるのではなく、自分で自分を照らさなくてはいけないし、そして、色々な人の心を、僕が照らさなければならない。

 

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と、いうわけで、本日は2020年の4月1日ですが、今年度も、僕なりに悪あがきしていきたいな、と思いながら…

 

 

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日村さんが「日村がゆく」で着ていた着流しを、僕もAmazonで買おうかと、本気で考えております。

 

 

とさ。wwww

 

 

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うん。自分でもわかる、俺は変な奴だ。

 

でも、変な奴だからこそ、僕にしか歩めない人生を歩みたいです。

 

 

 

 

日村さん、日村がゆくに関わる全てのみなさま、

本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

 

今後とも、ヨシダケントを、よろしくお願いします。