弱い犬ほどよく歌う。

音楽依存症の男子大学生が、横から目線で音楽と日常を書き流す。

崎山蒼志になれなかった僕だから、の2019年


f:id:humming_dog:20181225190244j:image

 

生ぬるくて夢の無い通勤電車に揺られながら、リリースしたての崎山蒼志くんのアルバムを聴く。


僕の価値観は思春期からずっとひねくた2ch文化に鍛えられている。だから基本的にアルバムを聴く時はどうしようもなく天邪鬼なのだが、崎山くんのニューアルバムに関しては、もう何も言えない。崎山くんの作った、「ナマモノの曲」が、そのままCDに冷凍保存されて、生の音で蘇るような、素敵なアルバムだ。

 


同時にぼんやりと彼の人生を変えたあの日から今までを思う。僕の小物感が溢れていてどうしようもないのだが、あえて声を大にして言いたい。彼の人生が変わった、「日村がゆく 高校生フォークソングGP 第3回」に、実は僕も出演していた。崎山くんと「対バン」していたのだ。

 


あの収録の日、楽屋で誰よりも緊張していた彼は、誰よりも輝くことになった。
リハーサルの時点で、彼はスタッフさんしか居ないスタジオの空気すら掴んだ。本番の緊張のあまりたどたどしくなったトークですら、彼の人間的な魅力を引き出した。日村さん、スカート澤部さん、ユアソンJJさんの絶賛は、オンエアでは収まらないほど、熱味を帯びていた。


そんな彼の姿は瞬く間に拡散され、ご存知の通り各界の著名人らに絶賛され、日本中のリスナーの心を掴んだ。純粋に素晴らしい音楽が、大きなメディアに載ったのだ。人々の心を掴まない訳がなかった。

 

 

 


対して僕はというと、正直に言って、あからさまに自分の心を折っていた。


まず、収録の時点で、僕の手応えは無いに等しかった。緊張で声は出なかった、曲もチープだった、何より場数が足りていなかった、と収録の帰り道の電車では自分を責めた。


そして、番組の放送日をとても楽しみにしていたけど、それと同じくらいに不安を抱えて放送日を待った。


案の定、放送の日は嬉しい反応も沢山あったけど、それと同じぐらいの厳しい反応に直面した。
コメント欄の方々は正直な感想を伝えてくれる。「ダサい」「しょぼい」「声が出てない」「このまま彼(俺の事)を勘違いさせたままだと罪深いぞ」「黒歴史だ…大人になったら彼はこの動画をどんな気持ちで見るだろう」批判の声が多かった。実際の所、理不尽な批判にも聞こえない。確かに的を射ている。確かにその通りだから、尚更に自分を責めた。


そうだ、高校の軽音楽部で友達に歌っているのとは違うのだ。僕の友達はみんな優しいから、どんな時にも褒めてくれたという事。それをずっと分かっていたつもりでも、僕は無意識に自分に酔ってしまっていたのかもしれない。


そうだ、あの日僕はある意味で初めて何万人の知らない人の前で歌ったのだ。お茶の間は厳しい。あれがリアルな声である。(AbemaTVの向こう側はお茶の間なのか、という突っ込みはうるさいよぉ!)
僕自身が、ミュージックステーションを見ながらミュージシャンの悪口を好き勝手言っていた時のことを思い出した。この反応こそがお茶の間のリアルというか、あたり前のことなのだ。見ず知らずのクソガキである僕に気を遣う必要などまるでない。

 


…そうやって僕ははっと目を覚ました。僕にとってあの回の放送日は、初めてはっと目を覚まされた貴重な経験だった。

 

 


とはいえ、目が覚めたのはいいが、目が覚めてしまったせいで、僕は音楽に対する気力を完全に失ってしまった。プライベートも落ち込むことばかり続いて、気を病んでいたというのもある。
 


僕が大切で大好きだった音楽だけど、わざわざ音楽のために頑張る必要も無いのかな、と思った。

音楽は聴くだけで十分だ。創作に頑張る必要は無いのかもしれない、僕はやっぱり才能が無いからな、と。


しばらくギターも弾く気がしなくて、曲も作る気がしない、そんな日々が続いた。


そうやって僕が燻っている間にも、崎山くんは躍進を続けていた。そんな姿を見て僕の劣等感は尚更膨らんだ。僕にも才能があれば、あの時もっといいパフォーマンスが出来ていれば、僕は崎山くんのように輝けたのかな、なんてどうしようもないタラレバ理想論に陥ることもあった。(崎山くんを才能という言葉だけで片付けるのは失礼だ、というのは後に記述する)今から振り返れば情けない話である。

 

 


だけど、やっぱり音楽は辞められなかった。しばらくの潜伏期間を経て、結局僕は曲を作り始めていた。


どうしようもない僕だったけど、どうしようもない僕を、どうしようもなくなっても応援してくれる人がいたからだ。お世辞でも、僕の友達は僕の音楽を褒めてくれる。その瞬間が、ただただ、純粋に、嬉しい。その瞬間のためだけに僕は音楽をやっているのかもしれない、とさえ思った。
僕が心を折れている時にも、僕を評価してくれる人が何人もいた。


思えば小学生ぐらいの頃から僕は人を楽しませるのが好きで、人を楽しませた後にそれを評価してもらうことが好きだった。小さい子供が自信のある絵を母親に見せるような、そんな延長線で僕は音楽を創っているのだと、そう気づいた。それだけなのだ。それが良いのだ。


僕は天才ではない自覚がある。だからこそ、天才ではない僕が、いかにして多くの人を楽しませるか、今はその事ばかり考えている。才能のない人間が、脳みそを捻って沢山の人を楽しませる。もしそれが成し遂げられたらと思いながら、今はそうワクワクしている。
 


☆☆☆
ところで、そんな僕に対して崎山くんはよく天才という言葉で表されることが多いが、僕は、彼をその一言で片付けるべきではないと考えている。
「痛いよ あなたが 針に見えてしまって」という歌詞が代表するように、彼の文学的な歌詞の中には、時に彼の強く繊細な痛みを感じることがある。
彼が本当に痛みを感じていたのかなど知る由もないし、知ろうとするのも野暮だろう。彼の努力や苦悩は彼のものだ。


しかし、彼を取り巻く状況はあの日以来一転し、だからこその苦悩がある事は間違いない。
何より、高校生という職業とミュージシャンという職業の兼業はなかなかに骨が折れるだろう。最近の土日の休日はほとんどミュージシャン業に追われている印象があるし。


だから、僕としては、彼がこれからもマイペースに好きな音楽を作り続けられるように、天才天才という言葉や、頑張れ頑張れという言葉で簡単に彼の活動を片付けるのはやめようと思っている。


何をお前なぞが偉そうに、と言われるかもしれないけど、一応彼は僕の弟と同い年だし、たまには兄貴みたいな事を言うのも許してくだせー。隅っこの僕の独り言です。
☆☆☆


 

 


さて、2018年が終わろうとしている。
今年のおみくじに「才知を持って世に名を知られし」みたいなことが書いてあって、そしたら本当に「日村がゆく」に呼ばれたから、おみくじも信じてみるものだなと思う。
もちろん悔しいことも沢山あって、プライベートは厄年かよ、ってぐらいついてない1年だったけど、それと同じぐらい、手応えや経験を得ることが出来たのも事実だ。
全ての関わってくれた方々と、そして1年間に心から感謝します。

 


そして、2019年は、僕の野望を一つづつ挑戦して行く1年にしたい、というかする。
大学二年生になる僕は、大学二年生という学年が好き勝手挑戦できる最後で最高のチャンスなのだ。

 


ここまで読んでくださってる優しい物好きの方になら、僕も心を開ける。

思い切って僕の野望を書いていこうと思うけど、

 


まず、僕に関しては、このまま弾き語りだけ続けていても泣かず飛ばずな自己認識があるので、いろいろな表現アプローチをかけるつもりだ。
(僕に関しては、の話だ。弾き語り1本で目標に向けて活動を続ける人を僕は尊敬している)

 


一応ミュージシャンなのに、曲を褒められるよりもMCや喋りが褒められる事が多いから、(いや、素直に嬉しいんですよ、ありがとうございます)
YoutubeでちょっとしたYoutuberみたいな事もしてみるつもりでいる。人間性含めてミュージシャンみたいな所もあると思うし、褒めて頂けた部分を生かさない手は無い。

 


バンドも、実は今現在メンバーの学業の関係で活動が止まってしまっているのだが、春ぐらいからまた活動を再開させる。ライブも沢山したい。だけど、ライブバンドを目指しすぎてプロモーションを蔑ろにするのも良くない。だから、レコーディングをして音源を配信したり、MVを撮影したり、なんてことも明確に計画している。

 

 

それから、Twilight Music Clubなる意識高そうな音楽プロジェクトも立ち上げた。詳しくはこのブログに書いている。

 

humming-dog.hatenablog.com

 

実際のところ大して意識が高いわけでもないのだが、ありそうでなかったこの音楽のカタチを、いかに1番良い形にしていくか。毎日頭を捻って野望を練っている。 

 

 


僕が副代表を務めているKalmiasという団体でドラマも作る。これはあくまで僕はプロデューサー役だが、映像という形で、僕ら1つのチームが、世の中に新しいアプローチをかける。Kalmiasが何たるかについてはまたいずれ書く。この団体も、大きくしていくぞ。

 


まぁ、こんな所だろうか、やる事が多すぎてパンクしそうだし、大風呂敷広げてなにも達成できないだろ、みたいに思われるだろうし、実際僕もそう思う、さすがに多すぎる笑

 


でも、もし、これを全て真正面からトライして、世の中に吹っかけてみたら、もしかしたら何かが変わるような気がしてしまう。


変わらなかったら変わらなかったで、僕の実力と、運が無かった、それだけの話だ。


僕は頭が変になったのかもしれない、けど、変になった頭は、捉えようによっては創作に向いているかもしれない。


ダサくてモテない、才能の無い僕が、2019年どうなるのか、


応援してくれとまではいいません、心のどこかで少し気にかけていただけたら幸いです。 


では、ばいなら。

 


弱い犬ほどよく歌う - ヨシダケント live at 目黒ライブステーション 【lylic video】【弾き語り】

 

 (過去曲をYoutubeにUpしました。弱い犬だけど、歌うんです。)