弱い犬ほどよく歌う。

音楽依存症の男子大学生が、横から目線で音楽と日常を書き流す。

セミが鳴くのとミュージシャンが歌うのは同じようなものかもしれない【コラム】


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8月の14日。

まだまだ夏真っ盛りだ。

とはいえ、一つ夏の終わりが近づいていることを知らされる。

道端にセミの死骸を多く見かけるようになったからだ。

 

よく僕は「人間は何のために生きてるのだろう」「生き物は何のために生きてるのだろう」と答えも出ないような問を考える習性にある。

 

そんな中でもセミは、「何のために生きているのか」という生き物だと個人的に捉えている。おーう、セミさんごめんよ。

 

何年も土の中に篭り、夏本番、万を持して地上を飛び出す。やっと飛び出したと思ったら、3日もすれば死んでしまう。

 

その3日間、セミはひたすら叫びつづけている。やかましいという人もいるが、それは確かに夏の音として、僕達の鼓膜に届く。

 

あれ?

 

ふと思った。蝉ってミュージシャンと同じじゃね?

 

ミュージシャンもずっとアンダーグラウンドに篭り、万を持して表舞台に飛び出す。

「セミは3日もすれば死ぬ」という言葉をミュージシャンに当てはめると異様に息苦しくなるので割愛するけど…苦笑

だがしかし、「ひたすら叫びつづけ、やかましいと思う人もいるが、確かに音として鼓膜に届く」これはミュージシャンの業と上手く合っていると思う。

 

思えば、人間だって何のために生きてるか、いくら考えたって分からんし、ミュージシャンなんて尚更だ。

 

NO MUSIC NO LIFEとは言えども、ミュージシャンはあくまで「娯楽」を提供する立場。

ある日突然この世界からミュージシャンが消えたとしても、社会は破綻しない。

よっぽど世の中の会社員、公務員の方が人々のためになってるし、この人間社会には必要な職業である。

 

だけどもなぜミュージシャンは歌うのか?

その答えの一つがセミから見えてくるかもしれない。

 

短い人生だからこそ、日々精一杯叫んで「自分の」命を全うする。

 

そういうことかもしれんなぁ。

 

おっと、俺はしがないアマチュア高校生ミュージシャンだってことを忘れていた。恥ずかしい。

 

さいなら。