弱い犬ほどよく歌う。

音楽依存症の男子大学生が、横から目線で音楽と日常を書き流す。

「日村がゆく」に出た記憶に未練タラタラのまま、「ボクはゆく」。

日村がゆくが終わってしまった。

 

 

 

その知らせは突然だった。「日村がゆく 最終回」

どんなに伝説的な番組だって、いつか終わりは訪れる。 

「全員集合!」も、「みなおか」も、「めちゃイケ」も、もう、終わってしまった。

 

それらの番組とも同じように、「日村がゆく」も、いつかは必ず終わってしまう。

心のどこかでは分かっていた。

 

 でも、いざ実際に最終回の知らせを聞いた時には、どうにも信じられなかった。

「日村がゆく」はずっと続くのだろう、と、勝手に安心してしまっていた。

 

でも、終わってしまった。 

 

最終回は、リアルタイムで見ることができた。

 

 

最終回は、総集編の映像を見ながら、番組のこれまでをスタジオで振り返る形式。確かに、最終回っぽい。

 

さあ、一体、日村さんは最後にどんな言葉を残すのだろう。

 

期待半分、寂しさ半分で、番組を見ていた。そして、あっという間に番組はラストへ。

 

…ラストの日村さんは、相変わらずの全裸だった。なんてこった!!

 

「三年間!!ありがとうございましたァァァ!!」と、日村さんは、熱い言葉を残し(ただし、全裸)

聴き慣れたエンディングテーマに乗せて、最終回仕様のエンドロール(ただし、全裸の日村さんの画像の総集編)が流れる。

 

そして、番組は終わった。感動的な終わりである。(ただし、全裸)

 

 

江頭さんですらYoutubeで乳首を隠す時代に、「日村がゆく」は最後まで全裸である。

 

股間のモザイクは相変わらず無機質で、AVのそれと同じ質感。 

バラエティ番組でよくある、股間をタレントの顔の切り抜き等で隠す、

というような演出はこの番組には存在しない。

 

文字通りの日村さんの裸一貫で、番組は終わったのである。

 

令和のバラエティ番組として、最高にロックな終わり方だと思った。カッコイイと思った。制作スタッフの皆さんの、ブレないポリシーを感じた。

 

…あぁ、僕はこの番組が好きだった。

 

…そして、僕は、自分でも信じられないのだが、この番組に出ていた。

 

 

「日村がゆく」に底辺ミュージシャンの僕が4回も出演できた、ということ。

 

僕は、音楽活動をしている。インターネットや、地元のライブハウスで、細々と音楽活動を続けている。Youtubeの再生回数なんて三桁いったらいい方で、俗に言うところの「底辺ミュージシャン」である。

 

そんな僕が、「日村がゆく」に4回も出演した。とても信じられない話である。

でも、本当に、僕は4回も番組に出演したのである。

 

事の始まりは、日村がゆくの制作プロダクション、シオプロのADさんから頂いたTwitterのDMだった。

話を聞くところには、「高校生フォークソング選手権」という企画に参加しないか?というお誘いらしい。

 

高校生のシンガーソングライターを集めて、日村さんやミュージシャン(スカート澤部さん、ユアソンJxJxさん)の前で、トークを交えながら曲を披露する。その模様をバラエティ番組の企画として昇華させる。

 

「高校生フォークソング選手権」は、簡単にいうと、そのような企画だ。

 


かわいいガール - ヨシダケント 【日村がゆく】【未確認フェスティバル2016】

 

ADさんは、Youtubeに上がっていた「かわいいガール」という僕の曲を聴いてお誘いを下さったらしい。

でも、「かわいいガール」は当時100回再生程度の、「地下の地下で眠っているような曲」である。

 

 

しかし、そんな「かわいいガール」にYoutube上で出会って、お誘いを頂いたのである。

 

当時の僕は、うれしさ半分、「夢を持った人をターゲットにした新種の詐欺か?」という疑心暗鬼な気持ちが半分あった(笑)

 

10代の、底辺ミュージシャン宛に、いきなりテレビ制作を名乗る大人からメッセージが来るのだ。正直怖かった。

 

でも、マジだった。マジのお誘いだった。

 

ADさんが名乗る「シオプロ」という名前で検索し、それは、バラエティ番組制作会社の中でもずば抜けた実績を誇るプロダクションだと知る。

 

「ゴッドタン」「水ダウ」などなど、バラエティ番組好きであれば知らない人は居ないような、数々の名番組の制作に携わっているプロダクションが、シオプロだったのである。

シオプロのスタッフさんのリサーチ力はピカイチで、「どこから連れてきたの?」というような素人さんを掘り起こす力もあり―という記事も目にした。

 

つまりのところ、僕もシオプロさんの強すぎるリサーチ力で見つけて頂いた、素人の一人なのである。

 

 

日村さんやスカート澤部さん、ユアソンJxJxさんの前で歌えて、しかもその模様がAbemaTVで全国に配信される。

 

こんなありがたいお誘い、断る理由があるだろうか?まったくもって、無かった。 

 

 

ほんで、日村がゆくに、出た。

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何もかもが、初めての経験だった。底辺ミュージシャンの僕が、ここまで、「プロ」のような、素敵な経験をできるとは、夢にも思わなかった。

 

楽屋にある「ケータリング」の弁当まで、すべてが宝物に見えた。

 

都内某所での初めての「インタビュー撮り」、AbemaTVのスタジオでの初めての「スタジオ収録」を終え、初めて「自分が出た番組のオンエア」を迎えた。

 

ここでの思い出に関しては書いたらキリがないので、今回は省略する。

 

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収録を終えて、

 

「いや~、番組きっかけでめちゃくちゃ褒められて、このままメジャーデビューとかしちゃったらどうしよう~♪」

 

などと調子に乗っていた。もちろん冗談半ばではあるが。

 

「そんな甘くないぞ」と突っ込む人の気持ちは、痛いほど分かる。

 

そりゃそうだ。音楽は甘くない。僕が必死に撮影した「かわいいガール」の動画だって、100万回再生の動画が溢れるYoutubeの中で、当時100回しか再生されていなかったのだから。

 

そんなの分かっている。僕だってわかっている。僕が一番わかっている。

 

でも、だけど、明らかに、僕は浮ついてしまった。

「ワンチャン」あるのでは?と思ってしまっていた。

 

テレビに出るって、当時10代のガキだった僕にとっては、とてつもなく夢のある出来事なのである。

みなさんも、自分に当てはめて考えてみて欲しい。

 

 

 

 

ただ、結論から言う。「ワンチャン」は掴めなかった。

 

AbemaTVの特徴として、リアルタイムで視聴者のコメントが流れる、というのがある。

 

コメントで、ボロクソに言われた。

悪意のある理不尽なディスではなく、純粋に「イマイチ」というコメントがどんどん流れていった。もともとは顔を隠すためにしていたサングラスも「キモい」とディスられ、唄声には「魅力が無い」とディスられ、曲は「凡庸」だとディスられた。

 

正直、何も異論はない。批判が正しい。理不尽な批判では、ない。

僕は未熟だった。凡人だった。心のどこかでは自覚していたはずのそれを、番組に出演したことがきっかけでさらに痛いほど感じることになった。

 

 

その一方で、僕が描いたようなワンチャンを掴んだ共演者が居た。

 


【ゲス極川谷・くるり岸田が絶賛!】中学3年生で「オリジナル300曲」の怪物”崎山蒼志”が登場!さらに“中1で作った楽曲”にスタジオ騒然…!|〜第3回高校生フォークソングGP〜|日村がゆく!#51

 

 

 

音楽好きであれば、今、知らない人は居ないのではないか、といっても過言ではない彼、

「崎山蒼志」君である。

 

僕と崎山くんは同じ回に出演していたのだ。

 

崎山くんは、僕の3個下。弟と同じ学年でありながら、番組内で卓越したパフォーマンスを見せた。そして、AbemaTVのYoutubeチャンネルに投稿された上記のパフォーマンスの動画が、めちゃめちゃバズッた。

 

崎山君は、声変わりもしていない幼少期から、本格的に音楽活動をしていた。

その当時から名曲を生んでいるから驚きだ。

幼少期からの「下積み」から地続きの、確かな経験、確かな努力、に裏付けされた、誰からも異論のない、「純粋なバズり」だ。

 

ワンチャンを掴む人は、掴むべくして掴む、ということを実感した。

 

「いや~、番組きっかけでめちゃくちゃ褒められてこのままメジャーデビューとかしちゃったらどうしよう~♪」

 

という僕の夢物語を、本当に崎山君は実現させた。

 

今、彼は、ソニーからCDを出し、全国に抱えるファンにライブツアーをする立場になった。

 

想像してほしい。ただの高校生である僕が、テレビに出演し、ボロクソに言われるその一方で、スターの卵が、その殻を破り、翼を広げ、憧れの舞台へ羽ばたいていく、その光景を。

 

僕の立場からすれば、人生でなかなか経験できない挫折だと思う。

そういう意味で、今思えば、かなり貴重な経験だった。

 

その気持ちに関しては、少しバズったこのブログに詳しく書いてあるので、よろしければ。

 

humming-dog.hatenablog.com

 

 

 

 

 

誰よりも泥臭いやり方で、4回の出演を掴んだ僕。

 

 

でも、ボロクソに言われていたはずの僕が、初回の出演から、「高校生シンガー事件簿」という番外編、「高校生フォークソング選手権グランプリファイナル」というメモリアルな回、「高校生フォークソング選手権 夏フェス」という番組初の公開収録に参加している。

 

合計で4回の出演をしたのである。

ちなみに僕はグランプリでも何でもない。

だけど、「グランプリファイナル」に出演したのだ。なんてこった。

 

 

なぜ、僕が4回も「日村がゆく」に出られたのか、それは、

泥臭い僕のやり方である。(自分で言うのもアレだが)

 

そして、僕の「泥臭くて情けない生きザマ」にバラエティ番組的な面白さを見出してくれた、日村がゆくのスタッフさんのおかげである。

 

それに関して、これから詳しく書いていく。

 

 

 

「高校生フォークソングGP」で、下ネタを解禁した僕

 

最初に「日村がゆく」に出演したとき、僕のキャラクターは異質な物だった。

 

インタビューが始まってすぐ、カメラを回していたディレクターさんに「おっぱい見たことない?」と聞かれ、躊躇することなく「ないです、(中略)意外と固いって聞きました」と答える僕。

 

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(普段から僕はこういうキャラクターなので、別にキャラづくりのために下ネタをぶっぱなした訳ではない。)

 

「日村がゆく」という下ネタ全開の番組の中では、まったく違和感のない会話ではあるが、高校生がメインの出演者である「高校生フォークソングGP」の企画内で下ネタをここまで解禁したのは、おそらく僕が最初ではないだろうか。

 

インタビューをディレクターさんとしていく中で、

 

ディレクターさんが「こいつは下ネタの生きる奴だな」と判断し、「高校生フォークソング」の文脈ではなく、「日村がゆく」の文脈でのインタビューに切り替えてくれたのだと勝手に思っているのだが、どうだろうか。

 

僕は、こう見えて真面目だから、インタビューシーンの撮影の前に、観られるだけ「日村がゆく」を観て予習していた。

 

「日村がゆく」そのものの、下ネタへのスタンスを理解した上で、「高校生フォークソングGP」ではその下ネタがほとんど封印されている、異質な企画だというのも理解していたから、

 

まさかの僕に対して、ディレクターさんからバリバリに下ネタを解禁されたのが嬉しかった。冗談ではなく、番組の一部になれた気がした。

 

そして、僕もバリバリに下ネタを解禁してしまったのである。はははー。

 

 

おそらく、この僕のキャラクターを原因として、一部の人にはヘイトを与えてしまっただろう。でも、一部の人には「なんかおもろい奴だな」と思って貰えた筈だ。

 

 

サングラスを掛けて、インタビューではおっぱいの硬さを語り、歌では「かわいいガール♪」などと歌う。トークでは、「ギターもあれもアレもソロ活動」とか言ってしまう。そして「童貞」ということまでカミングアウト。

 

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我ながら、よくやったなと思う。ただの素人男子高校生が、自分を全てさらけ出したのである。

 

このオンエアは親も見ていた。親にはシモの話をしない、健全な家庭だったから、このオンエアで、息子の晴れ舞台を期待していた両親の落胆は、知りたくない。

 

だがしかし、後悔は全くしていない。

 

 

番組のアンケートを全力で、泥臭く答えた

 

 一回目の出演が終わり、しばらくして、担当のADさんからLINEが来た。

 

「放送を終えて、後日談のような感じで、エピソードを教えていただけませんか」

 

 とのこと。アンケートのフォーマットが添付されていた。

 

バラエティ番組の多くでは「アンケート」を実施する。番組を作る上で、その解答の中から、番組で使えそうなネタを吟味するのである。

 

話を聞くところには、「高校生フォークソングGP」への出演者への後日談アンケートの内容をもとに、ランキング形式で「強いエピソード」をスタジオで日村さんに報告する、という企画らしい。

 

僕は、何が何でも「次に繋がるようなアンケート」を書きたいと思った。

 

誰よりもオンエアで「バズれなかったこと」に悔しさがあったからだ。

そして、その一方で、ありのままの「童貞下ネタキャラ」が一定のバラエティ好きの層にウケた手ごたえもあったからだ。

 

人によっては、このアンケートは、気軽にささーっと書いたり、質問に対して「(エピソードは)ないです」と答えた人も多かっただろうなー、と思う。

 

でも、僕は、全部の答えを絞り出した。

泥臭く、泥臭く、かなりの長文で、アンケートを、エピソードを絞り出した。

 

自分の情けないエピソードを、惜しみなく絞り出した。

 

色々な人に嫌われる覚悟で、崎山君へのコンプレックスもむき出しにした。

「モテない」という僕の1番のコンプレックスも、全部おいしくなると思って、全部さらけ出した。

 

アンケートを送って、まず最初に貰ったADさんからの返信は、

 

「すごい熱量での返信、ありがとうございます!」

だった。

 

あぁ、多分僕は他の人より圧倒的に重い文章量だったのだなと、そこで初めて感じた。

 

 

そのアンケートが生んだ結果は、意外なものだった。

 

「ディレクター(さん)がヨシダさんに、ぜひ番組でその事を話して欲しいと言ってるみたいなんです!スケジュールどうでしょうか?」

 

この連絡が来たときは、本当に嬉しかった。

 

もともとはスタジオにゲストを呼ぶ予定すらなかった様子なのに、まさか、僕がスタジオに呼ばれたのである。

 

前回の出演での僕のキャラクター、そして、今回僕が全力で書いたエピソードが、「おっぱい」の質問をして下さったディレクターさんに、興味を持ってもらえたらしい。

 

このアンケートが、僕の人生を大きく変えた。といっても過言ではない。

本当に、泥臭くアンケートに回答してよかった。

 

 

このアンケートをきっかけに、僕は河井杏寿ちゃん、大久保基学君とともに、「高校生シンガー事件簿」に出演し、

 

それをきっかけに、「なんか面白い奴枠」として、グランプリ受賞者のあつまる「高校生フォークソングGP グランプリファイナル」、番組の歴史の中でも、かなりの大きなイベントである「高校生フォークソング 夏フェス」になぜか出演したのである。

 

僕の出演の経緯に関しては、本当に泥臭かったな、と思う。

でも、後悔はしていない。いや、最高である。

 

 

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「また日村がゆくに出ること」を目標に今まで頑張ってきた

 

4回も「日村がゆく」に出ることは、かなりの貴重な経験だった。

日村さんはもちろん、企画レギュラーのスカート澤部さん、ユアソンJxJxさんとは4回も撮影をご一緒することが出来たし、菅田将暉さん、小澤亜李さん、佐倉綾音さんとも共演できた。

 

 

出演者の方々と、スタッフさんは、僕のような素人を、本当においしく料理してくださったな、と思う。

お陰様で、最初は僕に対する否定的なコメントも多かったが、段々と「ヨシダ、なんだ、良い奴じゃんww」とか、「ヨシダ、上手くなったな!」など、前向きなコメントも、頂けることが増えた。

 

「日村がゆく 夏フェス」のときは、初めて「日村がゆく」のファンの前でライブをした。いつものライブハウスのライブには全然お客さんを呼べない僕を、満員のお客さんは温かく受け入れてくださり、僕の人生最高のライブの一つになった。

 

これは紛いもなく、「日村がゆく」に関わる全ての人のおかげなのである。

 

 

僕は、日村がゆくの撮影の現場が、大好きだった。

 

本当にアットホームな撮影現場で、スタッフさんと日村さんとの信頼関係が僕から見ていても、ハッキリと感じたし、そして、僕らにも、アットホームに接して下さった。

 

時間の都合上、全カットでお蔵入りになってしまったらしいのだが、「夏フェス」の撮影のあと、「打ち上げ」と題して、番組の有名ディレクターさん、イモDさんの手料理を振舞ってもらう企画があった。

食べ物をつまみながら、撮影のアフタートークをするような企画である。

 

イモDさんの料理は、「プロの料理人さんなのか?」と思うぐらいに本当に美味しくて。

 

そして、お世話になったスタッフさん、日村さん、澤部さん、JxJxさんと、企画の上とはいえ、同じ卓の上で打ち上げをする、という、後にも先にもない経験をした。

これが忘れられない。

 

みんな心から「素敵な大人」で、短い時間ではあったけど、他愛もない会話をしてくださった。

 

この日、僕は、生意気にも、この幸せな光景が「日常」になればいいのに。と思ってしまった。

 

テレビ番組という、「面白い」コンテンツをみんなで創り上げて、それが色んな人に見られて。僕自身が幸せを感じられて、そして、番組を見てくれる人にも、幸せを与えられる空間――僕は、その魅力にドップリと浸かってしまった。

 

 

もちろん、僕は「素人」として、バラエティ番組の一企画に片足を突っ込ませて頂いただけの立場である。

 

バラエティ番組の本質は、そんなに甘くないというのは、僕なりに理解している。

 

横で撮影の準備などを拝見している限りでも、バラエティ番組をつくる過酷さ、シビアさを目の当たりにした。

 

 

でも、僕は、「またテレビに出たい!」と思ってしまった。

 

そして、「日村がゆく」は、僕にとって、一番に出たい番組であり続けた。

 

 

 

 

冗談ではなく、ミュージックステーションよりも、「日村がゆく」に出たかった。

 

 

 

最初の出演の時よりも成長して、「ヨシダケント」という名前が単体で有名になって、「ヨシダケント」として「日村がゆく」に呼ばれることが夢だった。

 

 

 

そして、その夢に向けて、僕は色々なトライアンドエラーを重ねることになる。

 

 

Youtubeに色んなジャンルの動画を投稿してみたが、なかなか思うようなクオリティの動画が作れない。

 

そして、なかなか動画の再生回数は伸びない。

 

正直、自分でも、動画の出来には納得いかない。面白い動画を作るのは、ここまで難しい事なのか。と痛感した。

 

 


最先端、Amazonでヒゲを生やす方法があるらしい…??『Amazonでヒゲを生やそう』【合計出費4900円】

 


ファミマの入店音で星野源してみた【演奏してみた】

 

 

売れるために本気で取り組んでいたバンドは、結成して半年で、メンバーの学業を理由に活動休止。次の春が来て、やっと活動を再開したものの、その夏にメンバーが脱退して、活動できなくなった。おそらく、このバンドは、もう活動することはない。悲しいけれど。

 

 


青の旅立ち / サケノツマミ (エモいMCあり)【Live】2019.5.26 Live House 湘南bit

 

humming-dog.hatenablog.com

 

 

 

 普通のバンドができないならば、と、メンバーを固定しないTwilight Music Clubという巨大なバンドも組んだ。

 

humming-dog.hatenablog.com

 


Twilight Music Clubのライブが一挙見できる動画

 

このTwilight Music Clubに関しては、活動を本格化してまだ間もないから、大きな壁にはまだぶち当たっていないが、

 

活動が波に乗ってきたこのタイミングで、コロナウイルスが蔓延し、春休みの内に進めたかったプロジェクトが、全部延期になった。

 

 

更に言うと、童貞モテないキャラで沢山「日村がゆく」でイジって貰った僕だが、ヨシダは、まだ「アレ」である。(爆)

これに関しては、色々あった。けど、全部うまくいかなかった。

 

 

 

そんなこんなで、僕がウズウズしているうちに、「日村がゆく」は終わってしまった。

 

 

 

…なかなか、「好きなことで幸せになる」ことは、甘くない。

 

 

それでも、「吉田はゆく」

 

正直、僕は今でも迷走を続けている。

どうしたらいいのか、ハッキリしたことが、分からない。

 

何を仕事に生きていくのか。大学三年生になる今、そろそろ本気で考えていかなければいけなくなった。

 

 

躁鬱の症状もあって、ほんの少しだけ病院に通ったこともある。

頑張れるときと、頑張れないときのギャップが、本当に苦しい。

 

躁の時に立ち上げたプロジェクトが、ここぞ、というときに鬱に襲われ、何も手につかない、ということがある。

 

躁の時には、辛辣なコメントや、今までの悔しい思い出も、全部をバネにファイティングポーズできるのだが、鬱の時には、それらすべてが重くのしかかり、深い挫折を覚える。

 

本当に、情けない僕だ。

 

 

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でも、僕は、歩みを続けたい。

 

「吉田はゆく」のだと、鼻で笑われても、言い続けたい。

 

 

憧れの「日村がゆく」は終わってしまった。

 

一つの夢はかなわずに終わってしまったが、

 

 

僕はまだなんとか生きているし、活動も続けている。

そして、シオプロさんも、AbemaTVも、バラエティの最前線で面白いコンテンツを作り続けている。

 

 

いつか、また、テレビ番組に出る。その夢は捨てないでいたい。

 

泥臭いやり方でも。何が何でも。僕は、また、テレビに出る。

 

※もちろん、犯罪でニュース番組に出る、というのは論外です(笑)

 

 

 

夢は、仮に、叶わなくとも、途中で諦めたとしても、見る価値はあると思う。

 

そして、その夢を外にこうして吐き出すのも、僕の自由だ。

 

 

僕は、「日村がゆく」に、冗談ではなく、本当に、夢を見させて頂いた。

 

これからは、誰かに照らされるのではなく、自分で自分を照らさなくてはいけないし、そして、色々な人の心を、僕が照らさなければならない。

 

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と、いうわけで、本日は2020年の4月1日ですが、今年度も、僕なりに悪あがきしていきたいな、と思いながら…

 

 

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日村さんが「日村がゆく」で着ていた着流しを、僕もAmazonで買おうかと、本気で考えております。

 

 

とさ。wwww

 

 

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うん。自分でもわかる、俺は変な奴だ。

 

でも、変な奴だからこそ、僕にしか歩めない人生を歩みたいです。

 

 

 

 

日村さん、日村がゆくに関わる全てのみなさま、

本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

 

今後とも、ヨシダケントを、よろしくお願いします。

 

20歳が終わるまでに、弾き語りのベスト盤を出します。という話。

弾き語りのベストアルバムを出します。

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(この曲はベスト盤に入ってません…汗 なんか良い写真だったので…笑)

は?何売れてもないくせにベストアルバムなんて出すの?プロ気取り?

と思われても仕方がないと思う。

 

まぁそんなに怒らないでくれ。コロナになるぜ。

 

別にプロを気取ろうとしている訳ではなく、今までの僕の大好きな曲たちと、もう一度ちゃんとした服を着て、ちゃんとした写真を撮りたい、と思ったのです。

(何?この素敵な表現)

 

「日村がゆく」では、俺の言葉不足で、高校生から音楽活動を始めた、と紹介されていたけど、実際のところ中学校の頃から曲は書いていて。

中学校の頃から自作の曲をYoutubeに投稿して、友達に褒められたり、馬鹿にされたりもしながら、今に至ります。

ちゃんと数えてはいませんが、音楽活動六周年?とかになるのかな。

大した結果も出せてないから、恥ずかしいけどね。

 

早いもので、去年の夏に20歳になり、秋が終わり、冬になり、春がすぐそこまで来ています。僕は20歳ですらなくなってしまいます。

しかし、20代も、生活と音楽を両立させて生きたい、と強く感じています。

 

作詞作曲が、僕が今まで出会った一番大好きな事です。

これからも、沢山の方と曲を通して出会いたいと強く願っています。

 

そんな、「これからも音楽と生きていく僕の名刺」として、今までの自分の作品たちをまとめたアルバムを作ろうと思いました。DTMとかも少しずつ覚え始めたけど、ここは原点の弾き語りで。

 

曲の一つ一つに、色々な思い出があります。嘘じゃなく、「この曲はあの人が好きっていってくれてたっけな」「あの時のライブで反応よかったなぁ、この曲。」などと、鮮明にその曲が生んだ光景が蘇ります。

表現力は年齢を重ねる毎に上がっているとは思いますが、基本的に歌ってることはいつも同じことです。クソみたいに繊細で情けない唄を歌い続けてきました。

 

自分で言うのもあれですが、僕の曲はメロディがとても良い。

そのメロディに追いつく歌唱力を持ち合わせていないのが大変コンプレックスですが、中二の曲から今まで、僕が僕の曲を唯一愛せるのは、メロディです。

 

多分、よっぽどな人でもない限り、僕の曲を全て聞いた人はいないだろうと思います。

そういう人たちも、アルバムならばもしかしたら聞いてくれるかもしれません。

 

過去を振り返るアルバムではなく、これからを生きる僕と、これからも愛し続ける皆さん、そして、これから未来に出会う新たな人々に向けて、僕の曲たちを歌い直します。

 

お楽しみにしていてくださいね!

ぼくにはバンドしかなかったのにバンドができなくなりました。さぁどうする。

私がリーダー、ソングライターを務めるロックバンド、サケノツマミからベースのウエハラが脱退する運びとなりました。代わりのベースが見つかる見通しも立たないし、なんだかしばらく新しいベースを探す気も起こらないので、無期限でバンド活動を休止します。また見通しが立った時、いつか活動したいです。いつになるのかは分かりませんが。


脱退の理由というのはありきたりで、彼が大学2年生という事を考慮した上で、彼には音楽以外にも、将来を見据え、向き合いたいことが沢山見つかったことや、人生の中での音楽との向き合い方についての迷いが重なったことで、音楽活動へのモチベーションに差ができてしまったそうです。不仲とかではありません。


彼の気持ちはとてもよく分かるし、彼の人生の邪魔はしたくないので、一切引き止めずに送り出すことにしました。彼を責めるつもりは毛頭ないし、彼の人生がよりよいものになる事を祈っています。


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とはいえ、彼を責めるつもりは無いからこそ、僕はありえない程に自分を責めています。
もし、僕がもっと良い曲を書いていたら。
もし、僕がもっとすごい歌を歌っていたら。もし、僕がもっとリーダーシップをバンドに発揮していたら。
もし、僕がもっと…

 


正直に言います、死にたいです。はい。なんなんですかね、僕にはロックバンドしかなかったんですよ。彼女もいないし、友達も多い訳じゃない。ライブハウスで音楽と闘っている時だけが生きる糧でした。僕は何をしたらよかったんですか?僕の何が悪かったんでしょうか?


例えば僕らが沢山のお客さんを前に、ノルマ代を負担することなく、明確な手応えのあるライブができていたら、もしかしたら状況は変わっていたのかもしれません。
もちろんそれは簡単なことではないので、「これから」もっと頑張ってこうよ、というタイミングでこの状況です。


僕はロックバンドドリームみたいなものを本気で信じていたし、スリーピースという無骨な形態を何よりも愛していました。心のどっかでロックバンドは続いていくものだと盲信していました。僕が馬鹿でした。


曲を書き、バンドの顔として歌っていた人間として、バンド内で1人の人間のモチベーションを下げてしまったというのは、明らかな「負け」です。僕の力不足。音楽的に振られたようなものです。


女にも振られ、音楽にも振られ、じゃあ吉田はこれからどうやって生きていけばいのか。

 



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いや、そりゃ、決まってます。「出会い」にいきますよ。「勝ち」にいきますよ。


ご存知頂けているかは分かりませんが、僕はTwilight Music Clubという音楽プロジェクトを立ち上げています。メンバーを固定しない音楽集団です。


サケノツマミを脱退することになったウエハラがカナダに渡航し、サケツマの活動が出来ない夏休みにコツコツこのプロジェクトに向けて準備をしていました。僕は立ち止まっていたくなかったから。


その準備にようやく見通しがたって、Twilight Music Clubのファーストシングルを、まぁそこそこ近い未来に発表できるはずです。楽しみにしていてください。お願いします。ほんとに、お願いします。

 

 

僕は、このTwilight Music Clubというプロジェクトで2回戦に挑みます。


Twilight Music Clubで君に出会いにいくし、君に勝ちにいく。


ふざけんな世界、もっと俺をふざけさせろ。


僕は生きてるよ。よろしくお願いします。

 


最後になりますが、

ベースのウエハラ、今までありがとう。君のベースは楽しかった。

ドラムのみりん。これからもよろしく。君のドラムは無敵だから。

カメラを撮ってくれたUt@。ずっと応援してくれてたのにほんとごめんね。


湘南bitをはじめとするライブハウス関係者の皆様や他のバンド仲間の皆さん。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。サケノツマミはしばらく活動しませんが、Twilight Music Clubをお誘い頂けると大変有難いです。


では、今夜はこの辺りで失礼します。


P.S 
あ、サケノツマミの曲には罪はなく、僕自身とても気に入ってるので、Twilight Music Clubに吸収します。また鳴らしますよ。曲を殺してたまるか。やったね。

 

 


青の旅立ち / サケノツマミ (エモいMCあり)【Live】2019.5.26 Live House 湘南bit


 

 

AI時代を、若者と芸術はどう生きるか―岡本太郎の『言葉』をよむ―

 

 第二次世界大戦での敗戦後、10年を待たずに日本は高度経済成長期を迎え、驚異的な復興を遂げた。その輝かしい復興の姿を象徴するイベントの一つが、大阪で開催された日本万国博覧会大阪万博)である。そして、大阪万博を象徴する建造物に、岡本太郎がデザインを務めた「太陽の塔」がある。すなわち、「太陽の塔」はその名の通り、高度経済成長期の日本を照らす太陽そのものであったといえるだろう。

太陽の塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、正面には現在を象徴する「太陽の顔」、背面には過去を象徴する「黒い太陽」の三つの顔が表現されている。博覧会の期間には、地下展示に「地底の太陽」なる顔も展示されていたという。この四つの顔を通して太郎は何を表現しようとしたのか。ここは当然議論の分かれる点である。

私は、過去を示す太陽が黒く、現在を示す太陽も装飾のない素朴な姿をしているが、未来を示す太陽だけは黄金に輝いていることに、一筋の希望を感じた。「暗い過去を経験し、その延長の薄暗い今を過ごしていようと、未来は金色に輝かせよう」。私が作品を見て抱いた、この感情だけを読み上げても、「教科書のような、簡単な綺麗事」だと嗤笑されるだろうか。しかし、決して「教科書通りの綺麗な塔」ではない太陽の塔の姿から感じられたそのエネルギーを、私は簡単な綺麗事として片付けることは出来ない。

 

時は移り、今日は2019年である。太郎がかつて太陽の塔で金色に表現した未来が、今、この時だとするならば、私たちはこの今現在が金色であると、胸を張って言えるだろうか。いや、言えそうにない。科学や医学の進歩はめざましいものだし、日本に限って言えば、第二次世界大戦での敗戦以降は、戦争もしていない。しかし、そのような成長の裏返し、いわば光と影のように、地球温暖化少子高齢化、冷たい外交といった、大きな社会不安が顔を出し続けている。

 

AIの技術の進歩もその「光と影」の一つであろう。AI技術が発展するにつれ、より一層私たちの身近な所にまでAIが関わることになる。社会はより一層AI化が進み、より人々の負担を軽くするだろう。しかし、それは同時に人間の雇用分野を狭めることにもなる。『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』の著者である駒澤大学井上智洋准教授は「汎用AIが2045年にはかなり普及しており、残っている雇用分野は(1)クリエイティブ系(2)マネジメント系(3)ホスピタリティ系に限られ、就業者数は約1000万人になる」と予測している。若者は、この未来からどのように金色を探せばよいのだろうか。

 私が未来に金色を見出した内の一つが「芸術」分野である。先述の井上氏が分類した「クリエイティブ系」に芸術は分類される。AIによって雇用分野が狭まっても、芸術は息を続けるはずだ。芸術作品を作り出すAIも存在するが、人間は芸術から心を見出そうとするから、AIではなく、心ある人間が作った芸術作品への需要は、尽かさないだろう。

 

 では、これからを生きる若者と芸術はどうあるべきか。ここで、太郎の価値観を引用する。太郎は「あなたの職業は何か」と聞かれた際に「人間だ」と答えた。そして、太郎は、「芸術の形式には固定した約束はない。技術の進歩に応じて時代毎に常に新鮮な表現をつくっていくべきである」と主張していた。

 太郎の言うように、AIがAIとして生きるならば、若者は「人間」という職業をより意識して生きるべきなのではないだろうか。そして、芸術は、技術の進歩と時代の流れを柔軟に受け止めるべきではないだろうか。

 

技術の進歩と時代の流れの最たるものが、インターネット及びSNS文化の発展であろう。様々なネット上のプラットフォームで、自作のイラスト、写真、映像が、不特定多数のユーザーによって投稿されている。「インスタ映え」たる言葉が世の流行語となり、「Youtuber」が子供たちの憧れの職業となったことがネットカルチャーの発展を表している。ネットカルチャーにおいての営みは、紛いもなく、「人間の仕事」そのものであり、そして、ネットカルチャーも、れっきとした「芸術」形式の一つである。今でこそ、インスタ映えという価値観やYoutuberの活動が白い目で見られることも多いが、かつて歌舞伎が「悪態の所作」と揶揄されていたように、文化の草創は混沌としたものである。混沌の中から洗練された秩序が芽生え、成熟した文化を築く。

 

AIの進歩が若者の雇用分野を狭め、少子高齢化の進行により若者はゆとりのない社会を生きることになる。そんな未来だからこそ、芸術という分野に、ビジネスとしての新たな雇用の可能性と、娯楽としてのゆとりを求めたい。そこに、金色の太陽がある。

 

2019年。高度経済成長はとうの昔に終わり、昭和はおろか、平成の時代までもが幕を下ろした。高度経済成長期に開催された1964年大会以来、二度目となる東京オリンピックの開催が、翌年に迫る。さらに、2025年には再び大阪で万博が開催される。高度経済成長期の時代からの周回のようなロマンを感じずにはいられない。かつての「太陽の塔」のような、この国の光となりうる象徴が再び現れることを期待してしまう。現代の「太陽の塔」は、もしかすると、インターネットの中にあるのかもしれない。

 

参考文献

『誰もが「岡本太郎になれる」時代、決め手は熱量』藤 和彦(2018)

春が来て、俺の風邪。ウェルネス脳さよなら。

4月が来た。桜が咲いた。花見に行った。風邪引いた。

 


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いきなり寒くなったり、暑くなったり、忙しかったり、暇だったり、僕の体が季節に追いつかない。心はとうに置き去りだ。

 

ゲホゲホと咳をする。相変わらず風邪は辛い。図体はでかくなった筈なのに。

と、いうか、幼少期よりもキツさが言語化される分、尚更にキツさを感じるのは僕だけか。

 

幸い僕は今までインフルエンザ、水疱瘡以上の病を患ったことは無い(こういうことを言うと病気になったりするよね、怖い怖い)

 

けど、気が早いかもしれないけど、僕もそろそろ20歳だ。確か医学的にはそろそろ老化が始まる歳。

今まで積み重ねた睡眠時間のだらしなさや無駄に繊細な心に彫られたストレスが「バカヤロウ!」と体を殴りに来るのではないかと不安になる。

 

かと言って、主婦向けのテレビでやっているような「これを食ったら健康になる」「これを食ったら不健康になる」というようなチープな健康情報ばかりに囚われる生活は寧ろ不健康ではないか、とも思う。

 

うん、食いたい物は食える内に食っておこう。会いたい人は会えるうちに会っておこう。僕達この先何があってもおかしくない。

 

どーせ僕達その内死ぬ。タバコ吸っても長生きする奴はするし、聖人君主のような生活習慣でも早死する人はする。テイクイットイージーです。グッバイウェルネス脳。

 

こんな事を言うと、「明日死んでも後悔しないような生き方を〜」みたいな薄っぺらい結論に陥りがちだけど、いや、どう足掻いても、明日死のうが100年後死のうが僕は悔しいよ。だけど足掻いてる。

 

 

一昨日は風邪を引きながらライブをした。

脳みそはフラッフラしてて、ああ体調悪いという感じでギリギリのライブだったが、逆に僕自身としては生きてるという感覚がいつもよりあった。

 

今、こうしてライブをしている事が、せめてもの僕の寿命への悪あがきだ。明日死ぬのか、100年後か、知らないけど、先の見えない一本道を、ただただボーッと歩きたくなくて、でんぐり返ししたりスキップしたりいきなり走り出したりしたい。

 

一年後に就活が始まる。俺はどうすればいい。何になりたい。どうやって生きる。

素直にかなり焦っている。

 

周りには本当に迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。今後ともよろしくお願いいたしますっ

インターネット上にライブハウス作りたいなー、あったらいいなー、という妄想

ふと思った。「インターネットにライブハウス作ったらいいんじゃね」。

 

ひょんな思いつきというのは誰にでもあるもので、例えば、映画監督でもないけど撮りたい映画のシーンが出てきたりとか、学校の先生でもないけどこんな授業あったらおもしろいんじゃないか、とか。

こういう妄想をする事が僕は人よりも多いような感じがしていて、勿論そういう妄想は実行もせず、公言もせずに頭の中で消化してきた。

それが普通の事であり、誰しもがそうしている事なのだが、もしかしたら、その妄想をこの広大なネットに投げかけてみたら、誰かしらに「それおもろいね」と共鳴することも時にはあるのじゃないかな、と。(これもまた、妄想である。)

だから、この手の妄想を時間があるときにここで放り投げてみようと思う。

 

ただし、保険として言っておくが、これはあくまで僕の妄想であり、内容はガバガバのガバーンだ。気楽に読んで頂きたい。特にその道専門の方、失礼があったらごめんなさい。

 

 

今回の妄想は「インターネット上にライブハウスを作る」、簡単に言えば、「ネットでライブ映像を生配信する」それだけの事だ。

 

勉強不足で何とも言えないが、おそらくそのような試みはどこかのライブハウスがやっているかな?と思う。

これだけのネット時代だから、ビジネスを運営する上できっと誰かしらが思いついて実行しているはずだ。

 

 

でも、もっと本格的に「インターネットのライブハウス」を作ったら面白い気がする。

 

現実世界のライブハウスは、ライブハウスが良い意味でブランドのようになっているイメージがある。「あのバンド、ライブハウス○○でワンマン埋めたらしーぜ」とか、「あのライブハウス○○の店長がおすすめするバンドは外さねーなー」とか。

ミュージシャンとしても、「いつかあのライブハウス立ちてーなー」とか「あのライブハウスから呼ばれてーなー」とか、憧れの存在となることも多いはずだ。

僕は、そういう存在としての「ライブハウス」凄く素敵だなと思う。

 

そういう居場所が、ネットにもあったら、素敵じゃない?

 

 

まあネットライブハウスの名前を「ROCK NET 吉田」とでも仮定して、妄想を進めていこうか。(名前クソダサい)(地名を吉田にすると何もハマラナイ)(かといって「新宿」「下北沢」とか入れたらなんか怒られそうで怖い)

 

こっから先の妄想は、あくまで「成功」する妄想。その道の第一線でライブハウスを経営されている方からすれば「おいクソガキ、そんなに甘くねーからな」と鼻で笑われるか、逆に僕の鼻を殴られるかもしれない。許してください。妄想なんです。

 

☆☆☆

 

ROCK NETは「ネット上のライブハウス」。当時就活大学生だった吉田氏が、就活に挫折。大好きだった音楽でビジネスがしたい、と一念発起で立ち上げたプロジェクトだ。

もちろん最初はスペースを買うお金もあるはずが無い。

そこで、吉田は、既存のライブハウスに頭を下げ、月に一回、ライブハウスを使わせてもらうことにした。

 

ROCK NETが目指したのは、ライブハウスには通常通り客を入れ、通常通りライブを運営するが、「ライブを最初から最後まで、ノーカットでネットで生配信する」こと。

吉田はインターネット上での「リアルタイム性」「拡散性」「不特定多数の集合性」に目を付け、そこにビジネスチャンスを見出したのだった。

 

収益源は、現実世界のライブに訪れる客からのチケット代は勿論、ネット上の広告収入による収益も見込んでいた。ROCK NETにブランド性がつけば、そのライブ自体を有料コンテンツとして生配信することもできる

(もちろん求めやすい値段で。500円じゃ高すぎるかな、、でもストリーミングみたいに月々の定額制にしても面白いよね)。

 

ネットメディアとしてROCK NETが大きくなる、そうすれば「ライブをその場で見たい」と会場にも人が集まる。それを吉田は目論んでいた。

 

 

当然のことながら最初は出演者からも、客からも見向きもされなかった。収入などあるはずもない。

しかし、

色々頑張って(妄想は苦しいところを飛ばすのが定石)

奇跡的な出会いがあって(妄想は奇跡が何度でも起こる)

 

少しずつ、ネット上での「客」が増え、インディーズシーンで密かに注目を集めるようになる。

 

そして、

色々頑張って(同上)

 

更に企業として成長(頭の中お花畑か)し、吉田はその元手でファッション通販サイト「YOSHITOWN」を設立。YOSHITOWNはファッション通販の風雲児として大企業に成長し、吉田は巨額の富を築き、女優、橋本環奈と交際するなど世間を騒がせながら、過去二人目の一般人として月旅行へ向かう。

 

★★★

 

 

すいません、どんどんお花畑になってしまいました。

いや、でもみんなも橋本環奈と付き合いたいでしょ?俺が目指すゴールはそこよ。

 

 

でも、まじめな話、最初の方、割とワクワクしませんでした?

 

 

割とビジネスチャンスある気がするんだけどなあ。

ちょっと真剣にもう少し考えてみようかなと思っています。

 

 

もし、これを読んでくれた方で、「いや、発想としては面白いんだけど、この点がビジネス運営的におかしい」「それさ、こうしたらいいんじゃない?」というような真面目なご意見や

「素晴らしいアイデアだ!実は僕、ベンチャー企業で社長をやっているんですが、もしよろしければ一緒に一風吹かせませんか?お金なら用意しています」というような時代の革命家の方などいらしましたら、絶賛お待ちしております。(爆)

 

KentYoshida.entertainer@gmail.com

 

(まじでメアド貼っちゃうような男です僕は)

 

誰かにこのアイデア持ってかれてその人が大成功する妄想もしています。(何度も言うけど、妄想だからね!!)

非常にそれは悔しいですが、実際に行動できなかった俺の負け。焼肉でも奢ってください。

 

 

長文駄文失礼しました。では、また。

崎山蒼志になれなかった僕だから、の2019年


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生ぬるくて夢の無い通勤電車に揺られながら、リリースしたての崎山蒼志くんのアルバムを聴く。


僕の価値観は思春期からずっとひねくた2ch文化に鍛えられている。だから基本的にアルバムを聴く時はどうしようもなく天邪鬼なのだが、崎山くんのニューアルバムに関しては、もう何も言えない。崎山くんの作った、「ナマモノの曲」が、そのままCDに冷凍保存されて、生の音で蘇るような、素敵なアルバムだ。

 


同時にぼんやりと彼の人生を変えたあの日から今までを思う。僕の小物感が溢れていてどうしようもないのだが、あえて声を大にして言いたい。彼の人生が変わった、「日村がゆく 高校生フォークソングGP 第3回」に、実は僕も出演していた。崎山くんと「対バン」していたのだ。

 


あの収録の日、楽屋で誰よりも緊張していた彼は、誰よりも輝くことになった。
リハーサルの時点で、彼はスタッフさんしか居ないスタジオの空気すら掴んだ。本番の緊張のあまりたどたどしくなったトークですら、彼の人間的な魅力を引き出した。日村さん、スカート澤部さん、ユアソンJJさんの絶賛は、オンエアでは収まらないほど、熱味を帯びていた。


そんな彼の姿は瞬く間に拡散され、ご存知の通り各界の著名人らに絶賛され、日本中のリスナーの心を掴んだ。純粋に素晴らしい音楽が、大きなメディアに載ったのだ。人々の心を掴まない訳がなかった。

 

 

 


対して僕はというと、正直に言って、あからさまに自分の心を折っていた。


まず、収録の時点で、僕の手応えは無いに等しかった。緊張で声は出なかった、曲もチープだった、何より場数が足りていなかった、と収録の帰り道の電車では自分を責めた。


そして、番組の放送日をとても楽しみにしていたけど、それと同じくらいに不安を抱えて放送日を待った。


案の定、放送の日は嬉しい反応も沢山あったけど、それと同じぐらいの厳しい反応に直面した。
コメント欄の方々は正直な感想を伝えてくれる。「ダサい」「しょぼい」「声が出てない」「このまま彼(俺の事)を勘違いさせたままだと罪深いぞ」「黒歴史だ…大人になったら彼はこの動画をどんな気持ちで見るだろう」批判の声が多かった。実際の所、理不尽な批判にも聞こえない。確かに的を射ている。確かにその通りだから、尚更に自分を責めた。


そうだ、高校の軽音楽部で友達に歌っているのとは違うのだ。僕の友達はみんな優しいから、どんな時にも褒めてくれたという事。それをずっと分かっていたつもりでも、僕は無意識に自分に酔ってしまっていたのかもしれない。


そうだ、あの日僕はある意味で初めて何万人の知らない人の前で歌ったのだ。お茶の間は厳しい。あれがリアルな声である。(AbemaTVの向こう側はお茶の間なのか、という突っ込みはうるさいよぉ!)
僕自身が、ミュージックステーションを見ながらミュージシャンの悪口を好き勝手言っていた時のことを思い出した。この反応こそがお茶の間のリアルというか、あたり前のことなのだ。見ず知らずのクソガキである僕に気を遣う必要などまるでない。

 


…そうやって僕ははっと目を覚ました。僕にとってあの回の放送日は、初めてはっと目を覚まされた貴重な経験だった。

 

 


とはいえ、目が覚めたのはいいが、目が覚めてしまったせいで、僕は音楽に対する気力を完全に失ってしまった。プライベートも落ち込むことばかり続いて、気を病んでいたというのもある。
 


僕が大切で大好きだった音楽だけど、わざわざ音楽のために頑張る必要も無いのかな、と思った。

音楽は聴くだけで十分だ。創作に頑張る必要は無いのかもしれない、僕はやっぱり才能が無いからな、と。


しばらくギターも弾く気がしなくて、曲も作る気がしない、そんな日々が続いた。


そうやって僕が燻っている間にも、崎山くんは躍進を続けていた。そんな姿を見て僕の劣等感は尚更膨らんだ。僕にも才能があれば、あの時もっといいパフォーマンスが出来ていれば、僕は崎山くんのように輝けたのかな、なんてどうしようもないタラレバ理想論に陥ることもあった。(崎山くんを才能という言葉だけで片付けるのは失礼だ、というのは後に記述する)今から振り返れば情けない話である。

 

 


だけど、やっぱり音楽は辞められなかった。しばらくの潜伏期間を経て、結局僕は曲を作り始めていた。


どうしようもない僕だったけど、どうしようもない僕を、どうしようもなくなっても応援してくれる人がいたからだ。お世辞でも、僕の友達は僕の音楽を褒めてくれる。その瞬間が、ただただ、純粋に、嬉しい。その瞬間のためだけに僕は音楽をやっているのかもしれない、とさえ思った。
僕が心を折れている時にも、僕を評価してくれる人が何人もいた。


思えば小学生ぐらいの頃から僕は人を楽しませるのが好きで、人を楽しませた後にそれを評価してもらうことが好きだった。小さい子供が自信のある絵を母親に見せるような、そんな延長線で僕は音楽を創っているのだと、そう気づいた。それだけなのだ。それが良いのだ。


僕は天才ではない自覚がある。だからこそ、天才ではない僕が、いかにして多くの人を楽しませるか、今はその事ばかり考えている。才能のない人間が、脳みそを捻って沢山の人を楽しませる。もしそれが成し遂げられたらと思いながら、今はそうワクワクしている。
 


☆☆☆
ところで、そんな僕に対して崎山くんはよく天才という言葉で表されることが多いが、僕は、彼をその一言で片付けるべきではないと考えている。
「痛いよ あなたが 針に見えてしまって」という歌詞が代表するように、彼の文学的な歌詞の中には、時に彼の強く繊細な痛みを感じることがある。
彼が本当に痛みを感じていたのかなど知る由もないし、知ろうとするのも野暮だろう。彼の努力や苦悩は彼のものだ。


しかし、彼を取り巻く状況はあの日以来一転し、だからこその苦悩がある事は間違いない。
何より、高校生という職業とミュージシャンという職業の兼業はなかなかに骨が折れるだろう。最近の土日の休日はほとんどミュージシャン業に追われている印象があるし。


だから、僕としては、彼がこれからもマイペースに好きな音楽を作り続けられるように、天才天才という言葉や、頑張れ頑張れという言葉で簡単に彼の活動を片付けるのはやめようと思っている。


何をお前なぞが偉そうに、と言われるかもしれないけど、一応彼は僕の弟と同い年だし、たまには兄貴みたいな事を言うのも許してくだせー。隅っこの僕の独り言です。
☆☆☆


 

 


さて、2018年が終わろうとしている。
今年のおみくじに「才知を持って世に名を知られし」みたいなことが書いてあって、そしたら本当に「日村がゆく」に呼ばれたから、おみくじも信じてみるものだなと思う。
もちろん悔しいことも沢山あって、プライベートは厄年かよ、ってぐらいついてない1年だったけど、それと同じぐらい、手応えや経験を得ることが出来たのも事実だ。
全ての関わってくれた方々と、そして1年間に心から感謝します。

 


そして、2019年は、僕の野望を一つづつ挑戦して行く1年にしたい、というかする。
大学二年生になる僕は、大学二年生という学年が好き勝手挑戦できる最後で最高のチャンスなのだ。

 


ここまで読んでくださってる優しい物好きの方になら、僕も心を開ける。

思い切って僕の野望を書いていこうと思うけど、

 


まず、僕に関しては、このまま弾き語りだけ続けていても泣かず飛ばずな自己認識があるので、いろいろな表現アプローチをかけるつもりだ。
(僕に関しては、の話だ。弾き語り1本で目標に向けて活動を続ける人を僕は尊敬している)

 


一応ミュージシャンなのに、曲を褒められるよりもMCや喋りが褒められる事が多いから、(いや、素直に嬉しいんですよ、ありがとうございます)
YoutubeでちょっとしたYoutuberみたいな事もしてみるつもりでいる。人間性含めてミュージシャンみたいな所もあると思うし、褒めて頂けた部分を生かさない手は無い。

 


バンドも、実は今現在メンバーの学業の関係で活動が止まってしまっているのだが、春ぐらいからまた活動を再開させる。ライブも沢山したい。だけど、ライブバンドを目指しすぎてプロモーションを蔑ろにするのも良くない。だから、レコーディングをして音源を配信したり、MVを撮影したり、なんてことも明確に計画している。

 

 

それから、Twilight Music Clubなる意識高そうな音楽プロジェクトも立ち上げた。詳しくはこのブログに書いている。

 

humming-dog.hatenablog.com

 

実際のところ大して意識が高いわけでもないのだが、ありそうでなかったこの音楽のカタチを、いかに1番良い形にしていくか。毎日頭を捻って野望を練っている。 

 

 


僕が副代表を務めているKalmiasという団体でドラマも作る。これはあくまで僕はプロデューサー役だが、映像という形で、僕ら1つのチームが、世の中に新しいアプローチをかける。Kalmiasが何たるかについてはまたいずれ書く。この団体も、大きくしていくぞ。

 


まぁ、こんな所だろうか、やる事が多すぎてパンクしそうだし、大風呂敷広げてなにも達成できないだろ、みたいに思われるだろうし、実際僕もそう思う、さすがに多すぎる笑

 


でも、もし、これを全て真正面からトライして、世の中に吹っかけてみたら、もしかしたら何かが変わるような気がしてしまう。


変わらなかったら変わらなかったで、僕の実力と、運が無かった、それだけの話だ。


僕は頭が変になったのかもしれない、けど、変になった頭は、捉えようによっては創作に向いているかもしれない。


ダサくてモテない、才能の無い僕が、2019年どうなるのか、


応援してくれとまではいいません、心のどこかで少し気にかけていただけたら幸いです。 


では、ばいなら。

 


弱い犬ほどよく歌う - ヨシダケント live at 目黒ライブステーション 【lylic video】【弾き語り】

 

 (過去曲をYoutubeにUpしました。弱い犬だけど、歌うんです。)